2017年 06月 15日 ( 1 )

「言葉に」その後

d0361758_15384477.jpg


*写真は文書の内容とは関係がありません*






以前、「言葉に」という投稿をした時に、「言葉がブーメランのように自分へと戻ってくる」ということを書きました。

あれから考えてはいましたが、そのままにしていました。

そのことについて先日、「ノルウェーの森」(村上春樹著)を読み返していた時、「なんだ。そういうことだったのか」と思った文章がありました。

それで、自分の疑問がちょっと解決したのと同時に、また別の疑問が湧いてきました。

その文章は、

「(正直なところ、そのときの僕には風景なんてどうでもいいようなものだったのだ。

僕は僕自身のことを考え、そのときとなりを並んで歩いていた一人の美しい女のことを考え、僕と彼女とのことを考え、そしてまた僕自身のことを考えた。)

それは、何を見ても何を感じても何を考えても、結局すべてはブーメランのように自分自身の手もとに戻ってくるという年代だったのだ。」(ノルウェーの森 上 p.7~p.8 より引用)というものです。

引用した文章は主人公が20歳になる少し前のころのことを振り返って考えたことを述べたものです。


わたしが、言葉に閉じこめる想いを外の世界に向かって放つべきなのか、

それとも内へと向かうように書くべきなのかと考えるようになったのは、

わたしが文章を書き続け始めてしばらくたってからだったように思うので、

人は誰でもそういう思いに突き当たるのだろうと村上さんの文章を読んで思いました。

今、わたしにはちょっとした別の疑問が湧きましたが、それを掘り下げることは今はするまいと考えています。





*参照


2017 05 05


「言葉に」


言葉に閉じ込める思いは

外へと放つべきなのか

内へと向かうべきなのか

よく考えます。

以前思っていたのは

言葉がブーメランのように

放つとまた自分へ戻ってくるのだと

言うことでした。

今は、どうなのか考えます。

また言葉を連ね初めて日も浅いので

まだどちらへ行くべきか

ウロウロとしているのでしょう。



[PR]
by snowyspring | 2017-06-15 13:58 | 雑文

自作の詩を書き記してゆくブログです。他に写真と日々のことも少しだけ。


by snowyspring